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RE:

I give you whom you should thank this


 
 
悲哀
心が荒む。
人前で泣くなんて、そんなこと出来るわけない。
ましてや大切な人の前でなんて、出来るわけない。
頑張る?
何を頑張ればいいんだ。
頑張って頑張って頑張って、頑張ってもどうにもならないことだってあるんだ。
何で自分ばっか。
やっとやっとなんだ。
頑張って頑張って頑張って、夢がすぐそこまで見えてきたと言うのに、全部台無しだ。
辛すぎて、涙が出ない。
今は誰にも会いたくない。
夜が怖い。
目を瞑るのが怖い。
朝がやって来るのか、考えると眠れなくなる。
少しの物音にさえ敏感になる。
心が喚き散らす。
愛して愛して愛して。
震えが止まるまで強く抱きしめて、大丈夫なんて聞かずに、ただ抱きしめて、そして、その時のためにどうかこの大空に羽ばたけるよう、翼をください。
2018/03/05 (22:44)


さくら
 桜の花びらひらり、あなたが好きですと打ち明けた遠い日。
 春が待ち遠しくて、叶わない夢見続けています。
 季節外れの雪が降り、去年より少しだけ遅い春です。
 あなたは今もどこかで頑張っているのでしょう。
 止まることを知らない時間が、私を置いてきぼりにして行きます。
 そっと目を瞑る桜の木の下。
 またあなたと会えるような気がして、訪れたこの街はあの日のまま、騒がしくて、急ぎ足で人が流れて行きます。
 ああもっと強くこの手で掴んでいれば……。
 ああもっと素直に気持ち伝えていたなら……。
 後悔は募り募って行くけど、戻らない時間が今もなお、私の中で息づいて、夢を見させるのです。
 桜は今年もまた、鮮やかな色を誇り咲き乱れるでしょう。
 ああもう叶わない夢など捨てて、今を生きてみようと、思うのですが……。
 桜色の恋が邪魔すのです。
 あなたは何も知らずに、きっともう新しい恋を見つけたのでしょう。
 分かっています。
 春は遠く、風が少し冷たいけど、振り返り、それでも小さな溜息零しながら、私はあなたから卒業してみようと、やっと決心つきました。
 いつかまたどこかで会えたのなら、目を反らさずに微笑みあえるように、きれいになろうと思います。
 
2018/02/19 (14:27)


運命共同体
 まるでジュエリーを散りばめたように一面に、輝く星星。
 こんな空、見るのは何年ぶりだろう。
 凍てつく寒さが身を震わす。
 幸田はまっすぐ前を見据える。
 逃げる訳にはいかなかった。行きがかり上の出来事である。ぴったりと背に張り付いたこの子供とは、知り合いでもなんでもない。どうしてこんな目にさらされているのかさえ、判っていない。
 大きく息を吐く。
 やるしかない。
 喧嘩と無縁の人生だった。それはこれからもずっと変わらないものだと、思っていた。 残虐を絵にかいたような男が唸りをあげ襲い掛かってくる。怯むなという方が無理だ。目の前で殺されてしまったこの子の父親であろう男の手から剣を抜き取った幸田は、へっぴり腰ながら応戦。
 鈍い痛みで剣を落としそうになる。
 すべての始まりは一通のメールだった。
 見覚えがある名前に目を細める。
 中学生のころ幸田は父親の勧めでボーイスカウトをしていた。
 それなりに楽しかったし、忙しい両親に代わっていろいろな経験ができ、きっと良かったことなんんだろうと思う。そこで知り合った詩音と大人への扉を開いたわけだし……。退屈だった活動が待ち遠しくなったのも事実。二人で抜け出し、秘密を重ねる。そのスリルが幸田を高揚させた。好奇心と欲求のまま詩音を抱き続けた。
 そして事件が起こってしまった。
 詩音が妊娠してしまったのだ。それに気がついたのは皮肉にも、キャンプ中、うっかり足を滑らせ大怪我をした時だった。
 言い逃れできない状況。
 しかし、詩音の口からは思いがけないことが告げられた。
 帰宅途中、見知らぬ男に強姦されてしまったと。誰にも言い出せずにいたと打ち明けた詩音。
 いろんな物議が醸し出され、暗黙の了解で、その事実は闇へと葬られた。
 胸が痛まなかったわけじゃない。言いだせる勇気がなかっただけ。幸田は押し黙ったまま、ことの成り行きを見守った。
 そして詩音は何一つ、本当のことを話さず幸田の前から姿を消したのだった。
 それがなぜ今ごろ、連絡をしてきたのか、半信半疑で幸田は指定された場所へやって来ていた。
 週末のテーマパーク。
 最近できたものだった。
 近未来館。
 科学の進歩というものは恐ろしい。
 映像とは思えない、具象化された建物が立ち並び、席に着いただけでメニューが目の前に出現。
 目の動きで読み取り、瞬きひとつで飲み物が運ばれてきていた。
 詩音が指定してきたのは、ホワイトゾーン。つまり誰にでも優しい環境が整えられている。言葉が話せなくても、目が見えなくても、何がなくても楽々生活が出来る。白は自由の象徴らしい。
 居心地の悪さに、落ち着かない気分で幸田は詩音が訪れるのを待った。
 コーヒーに手を付けることなく、待つこと一時間。
 きっと昔を知る誰かのいたずらだろうと思い始めた矢先だった。
 音もなく車椅子に乗った少年が、幸田が座るテーブルへとやって来て、わずかに頭を下げる。
 人間違いでもしているのだろうと、愛想笑いを浮かべつつ、幸田は辺りを見回す。
 「今日は来てくれてありがとう」
 その声に、幸田はハッとさせられる。
 懐かしい詩音の声だった。
 しかし、詩音らしき人物はどこにもいなかった。
 「私は今、難しい環境に身を置かされています。彼、真凛があなたのしもべとしてこれからあなたを援助してくれるでしょう。どうかこれから起こることを、非議しないで、受け止めて欲しい」
 幸田は真凛という少年を、まじまじと見る。
 顔色一つ変えず、真凛は車椅子の向きを変える。
 「おい」
 身を乗り出すように立ち上がった幸田は詩音の肩につかみかかろうとしていた。
 「来るよ」
 振り向き様に言われ、幸田は目を見開く。
 今まで目の前に広がっていた未来都市がもろくも崩れ、空は破れ、パラパラと何かが降って来ていた。
 一瞬の出来事に、誰もが身動きが出来ずにいた。
 数秒遅れて、それは悲鳴と変わる。
 逃げ惑う人々。
 あちらこちらに火の手が上がり、降って来たのは得体のしれない兵器を持った生き物だった。
 銃砲は間違いなく幸田たちにも向けられる。
 「どういうことだ」
 無我夢中で真凛の車椅子を押し、逃げながら幸田が尋ねる。
 「北ゲートへ向かって」
 「北だ?」
 地面に無数の穴をあけながら、銃弾が後を追って来ていた。
 ホワイトゾーンを抜け、ブルーゾーンへ足を踏み入れた幸田は、何かに足を掴まれてしまっていた。
 「これを」
 真凛が銃を手渡してきた。
 無論、銃の扱いなど分らない幸田である。
 見れば青白い顔をした髪の長い女が、幸田の足を掴んでいた。
 女の歯が、幸田のすねに食い込む。
 このままでは噛み切られてしまうと思った幸田は、無我夢中で引き金を引く。
 走るしかなかった。
 だらだらと血を流し、芝生が敷き詰められた広場を抜け、花時計を踏みつけ、重い鉄扉を力任せで開く。
 鉄が軋む音ともに開かれた中へ、幸田と同じように逃げ惑ってきた人々が投げれ込む。
 猶予はなかった。
 「早く扉を閉めて」
 真凛に促されるまま、幸田は赤い非常ボタンを押す。
 まだ入りきれていない人を蹴落としながら、中にはその扉に挟まれてしまったものもいた。
 この惨事を世の中はどうニュースに流すのだろう。
 報道関係者としては気になる所である。
 振り返った幸田は頭を大きく振る。
 「どうなっちまっているんだ? 詩音、いや宮沢はどこで何をしているんだ?」
 「母は、組織に捕まっています」
 「組織って、おい、このこととなんか関係があるのか?」
 「とにかく、父の元へ急ぎましょ」
 ますますわからなくなってしまった幸田は、足が竦む思いで真凛を見る。
 今の状況と照らし合わせ、真凛のあろうはずの足がないのは、奴らに食い千切られたってことなのだろうか?
 鉄の扉が、不穏な音を立て、パラパラとほこりが舞う。
 「急いで」
 促されるまま、生命館へ飛び込んで行く。
 薄暗い館内を突き進み、赤黒く光る隕石の前へまで行った時だった。
 有ろうことか、真凛が立ち上がったのだ。
 「お前足は」
 驚きで幸田は口をパクパクさせる。
 真凛は動ずることなく、その隕石へ手を照らす。
 後ろの壁がゆっくり開き、真凛は顎で幸田を促す。
 何が何だか分からないまま、幸田は真凛に続く。
 地下室。それとも隠し部屋。そんなものを想像していた幸田は、思いがけない光の眩しさに目を細める。
 そこはテーマパークの外だった。
 まるで中と外では別世界である。
 何事もなかったように、普段通りの生活が織りなされている。 
 一つ言えるのは、受付終了の看板と、向こう側の空の色が違っていた。
 説明を求める幸田。
 しかし、真凛は何も話そうとはしなかった。
 地下鉄を乗り継ぎ、バスに揺られること40分。
 見たことも聞いたこともない僻地に辿り着いた二人を、大柄の男が出迎える。
 真凛の父親、如月だ。
 如月が幸田の謎を解いてくれた。
 国家機密。
 人体実験が密かに行われていた。
 名目上は、不治の病の治療薬開発。
 詩音は開発チームのリーダー的存在だった。
 そこまで説明をした如月は、真凛を見る。
 生まれつき体が不自由だった真凛のため、詩音は研究を続けていたのだという。
 そしてその実験は実を結び、詩音は真凛の病を治すことに成功。しかし、産物があった。
 特異体質になった真凛を、国家は欲しがった。
 渡せば、モルモットのように実験材料にされてしまう。
 襲ってきたのは、真凛が受けた治療で失敗した人々である。
 我を失い、感情をコントロールできなくなった彼ら彼女らは、特殊電波でコントロールされている。
 この子を、守って欲しいと懇願された幸田は、目を瞠る。
 お門違いもいいところ。なぜ自分がという思いに駆られる。
 「あなたしかいないのです」
 その言葉の意味を聞く前に、襲われ、こんな状況が生まれてしまっていた。
 置いて来たはずの車椅子が空を飛んでやって来る。
 「早く捕まって」
 襲い掛かって来たやつの腕を切り落とした幸田が、片手で取っ手に掴む。
 「目、閉じて、飛ぶよ」
 へ?
 すさまじい耳鳴りがその瞬間、幸田を襲う。
 見知らぬ土地へ転げ落ち、幸田はそのまま気を失ってしまう。
 
 もう何年、この戦いを続ければ、終わりが来るのだろう?
 研ぎ澄まされた聴覚が、物音を捕える。
 反射的に身構え、幸田はいつ襲ってくるか分からない相手を待ち構える。
 真凛と暮らすようになって、かなりなるが、少年のままである。
 永遠に年を取らないのであろうか?
 ふと、真凛の誕生日が聞きたくなった。
 教えてはもらえないであろうと思った問いに、真凛は半瞬ほどの間を置き、応えた。
 信じがたい事実。
 真凛が静かに微笑む。
 その笑みがすべてを物語っていた。
 だからかと思う。
 食い千切られそうになった足を、真凛がにっこり微笑み、こう言ったのだ。
 「そんな傷、唾をつけておけば治るよ」
 言ったとおり、真凛が唾を吹きかけ、その傷は見る見る回復して行った。
 義足だと思った足が、元通りになったのは、幸田の食いちぎられた肉片と、血がもたらした奇跡だった。
 恐ろしいほどの修整能力。
 これを欲しがるものが後を絶たないのが分かる。
 すべて理解できた気がした。
 多少なりにも、サバイバル経験がある幸田に、真凛を預ければ、何とかなると考えたのだろう。
 如月は父親でも何でもなかった。
 護衛勤務で詩音につくことになり、惹かれた。そして、真凛をここから連れ出してくれと頼まれたのだった。血のつながりがある、幸田を探し、真凛を生かさせてほしいという、たった一つの願いをかなえるため、身を挺し危険を顧みず、そして彼は散って行った。
 真凛が背中を合わせてくる。
 背中が怖いという真凛のため、いつも二人は背中合わせで寝る。 
 気配を消し、見えない敵に耳を研ぎ澄し、気の休まることのない日々。
 きっとこれはあの日、勇気を持てなかった自分への罰なのであろうと、瞬く星を眺め、幸田は思うのだった。
2018/02/15 (11:09)


ずっとね
 こんなこと話したら、頭のおかしい人だと思われてしまうかもしれないけど、本当だから仕方がない。
 「信じなくてもいいよ。自分でも信じられないんだから」
 そう前置きをした由真は、まっすぐと迫田を見る。
 運命的な出会いでも偶然でもない、必然的に巡り会わされたと、力説をした由真。
 二人は今日初めて会った。
 待ち合わせるとか、そう言った類ではない。
 すれ違いざま、由真の伸ばした手によって、通行人の一人、迫田が引き寄せられた。
 何とも衝撃的な出会いである。
 頬を赤くするとか、どぎまぎして話し掛けて来るとか、はたまた擦れた感じでもない。極々普通で、まるで知り合いに偶然会ったから、手を掴んだといった具合で、迫田としては、あれ誰だったっけな、などと一瞬錯覚してしまったくらいだった。
 しかし思考を張り巡らせたところで、思い当たるはずもない。初めて会った人物なのだから。まるで会ったことがない女性にこんな形で呼び止められるとは、予測不能の出来事に、迫田はすっかり気が動転させてしまっていた。
 女性経験がない迫田である。付き合ったことすらない。憧れどまりの恋愛。せいぜい二次元世界に没頭して、一人慰める日々を送っていた。
 チャンス到来。来たぁぁぁぁモテキ。
 頭の中に流れるテロップとは裏腹に、迫田はむっつりと由真を見る。
 そんな迫田の威嚇をものともしない由真は、ニコニコと、嬉しそうに顔を綻ばせ話し始める。
 何だこいつと思った迫田だったが、見れば目はクリンとして、ふくっらとした顔立ちが、愛嬌を感じさせる。きれいというより、どちらかというとかわいい部類の顔立ちだった。
 いわゆる、逆ナン?
 などとにわかな喜びを抱き、何ですか? と迫田は首を傾げた。
 「ごめんなさい。ずっと、あなたを探していました」
 はっ?
 「ここでは何ですから、あそこ、入りませんか」
 指さされた方へ目をやった迫田は、困惑の色を隠せずにいた。
 明らかにそれを目的にして入るホテルの看板である。人は見かけによらない。いやいや、行き成り呼び止められた辺りで、そういうパターンも有っちゃ有だけど……。
 迫田の返事も聞かないまま、由真はスタスタと歩き出す。
 嬉しいが、迫田ははたと我を取り戻す。
 女を買うほどの手持ちはない。逃げかえるには惜しい気もするが……。通帳の中身のことを思い返す。残高も乏しいものである。しかし、しかしだ。あと数日待ってもらえれば、給料が入る。その暁には、ぜひ君を抱きたい。そう言ってこの場を取り繕うっていう案が浮かび、迫田は前を歩く眉に声を掛けた。
 「あの」
 その声に反応して、由真が振り返る。
 「ああすいません。まだ、名乗っていませんでしたね。私、名取由真と言います」
 首を斜め45度にかしげた由真が微笑む。
 きゃわいい。
 白い肌に、真っ赤な口紅が良く似合っている。染めていない、光沢がある黒髪も、迫田を引きつける材料になっていた。
 「もう少しです。急ぎましょ」
 つい言いそびれてしまった迫田だが、もうそんなのどうでも良くなってしまっていた。
 大通りから細路地へと入って行く。
 もう何年もこの町に住んでいるが、ここを通るのは初めての迫田。
 両脇には昔ながらの店が並び、思い出したかのように、民家が現れ、塀からはみ出した枝に襟元が引っ掛かり、一瞬迫田は焦る。
 「あの、すいません」
 なかなか外れず、どんどん行ってしまう由真に、迫田は慌てて声を掛けた。
 ちょこんと首をかしげた由真が振り返る。
 「大丈夫ですか?」
 「枝が引っ掛かっちゃって」
 そういう迫田を、由真は助けるでもなく、ただニコニコと見ているだけだった。
 半ば強引に枝を折ってその場を凌いだ迫田が、小走りで由真の元へと駆け寄る。
 少し気が大きくなった迫田は、由真の手を取り、照れ笑いをする。
 「これなら、はぐれないでしょ」
 由真は何も言わず、にっこりする。
 汗ばんだ手で握られて、気持ち悪いはずなのに……。
 路地を抜けると、なつかしいレトロ感満載の街並が目の前に広がった。
 由真にギュッと手を握り返され、迫田はドキドキしだす。
 春が、来たぁぁぁぁぁ。
 鳥のさえずりさえ聞こえ、有頂天になった迫田は疑うこともなく、その街へと一歩踏み入れた。
 「あそこです」
 由真が指差したのは、古い時計店だった。
 「ただいま」
 ただいまって?
 キョトンとする迫田の手を、由真は放そうとしなかった。
 「おかえり」
 入って来た二人を見て、パイプをくねらせながら作業していた老人が顔を上げ、目を細める。
 「見つかったのかい?」
 「うん」
 何の話をされているのかさっぱり分からない迫田は、急に恐怖を覚える。
 「怖がらないで。大丈夫。すぐに楽になるから」
 涼しい顔で言う由真に、迫田は目を見開く。
 「ほれ」
 老人が差し出したのは鍵だった。
 「じゃあちょっと行ってくるね」
 「行くって?」
 にっこりする由真はもう化け物にしか見えなくっていた迫田は、悲鳴を上げ暴れ出すが、その抵抗も虚しく、見えないドアが開かれ、中へと引きずり込まれてしまったのだった。
 後の記憶はない。
 気づくと、ぼんやりと視界に天井が映り、徐々にはっきりしてくる意識。
 目の前を何かが遮る。
 急に音声があげられたかのように、一気に音が耳へ流れ込んできた。
 そのけたたましさに、迫田は顔を顰める。
 「辰巳、私が分かる?」
 視界がはっきりして、その相手を見て、迫田は顔を引き攣らせる。
 由真だった。
 「良かった。ずっとね、ずっと、神様にお願いしていたの。あなたに新しい人生をプレゼントさせてほしいって」
 何を言われているのか分からなかった。
 そこから後のことは、記憶があいまいで、はっきりと覚えていない。
 バタバタと無数の足音が聞こえ、器具が外され、そこが病院だと分かるまでしばらく時間を要した。
 誰も由真の存在を知らないという。
 あれは誰だったのか、分らないまま月日が流れ、迫田は新たな人生の一歩を踏み出していた。
 IT企業で働いていた迫田は、過労で倒れ、意識不明のまま何日も眠り続けていた。
 面識のない女性、名取由真は何者だったのか……。
 
 「しかしさおじいちゃん、こんなことして、何の意味があるの?」
 由真が口を尖らせながら、次なる人物へメモリを合わせながら聞く。
 パイプをゆっくり燻らせた老人が、目尻に沢山の皺を作り答える。
 「昔からの習わしじゃよ」
 「習わしって、もうそんなことが聞きたいわけじゃないのに」
 そういう由真だって、昔々はお転婆な人生を謳歌していた。
 そんな由真は、時折耳にする声に悩まされていた。誰に言っても聞いても信じて貰えない、その声ははっきりと自分の名前を呼ぶものだった。
 一人でいるときに決まって聞こえてくる声。
 しばらくして、すれ違う人に色があることに気が付きた由真は、その法則に辿り着くまで時間を要さなかった。
 怖くなった由真は母にそのことを訴えたが、それは予想とはまるで違っていた。
 みるみると顔色を変えた母親は、由真を物置小屋へ閉じ込められてしまったのだ。
 訳が分からなかった。
 泣いてお願いする由真に、悪魔祓いだ、我慢しなさい。という母親の声がとても恐らく、一晩、凍える思いで過ごした。
 そしてまたあの声が聞こえてきたのだ。
 暗がりに目をやり、その声の主を由真は必死で探した。
 「こっちじゃこっち」
 恐る恐る奥へと入って行った由真は、足に固いものがぶつかりそれを手にする。
 壊れた時計だった。
 「ねじを回してごらん」
 言われたとおり、由真はねじを回した。
 鈍い音を立てまわるネジ。
 回しきっても、針は動こうとはしなかった。
 壊れていると思いながら、由真は時計を振ってみる。
 耳を当て、何かのからくりがあるのではないか探る。
 何の音もしないことに、やっとあきらめをつけた由真はその時計を放り出した。その時だった。
 秒針が動く音がしたかと思うと、由真の目の前にこの時計店が現れたのは。
 訳が分からないまま、由真は好奇心で、扉を開いた。
 カチコチと小気味よい音が響き、老人が優しい眼差しで由真を迎え入れる。
 「ようやくたどり着いたね。ずっと探していましたよ姫」
 「は?」
 「時のうねりに飲み込まれ、あなた様が姿を消してもうどのくらい経つのでしょ? さぁ忙しくなりますぞ。あなたが司っていたものが誤作動し始めています。修正して回らねばなりません」
 「何の、話をしているんですか? おじいさん、誰?」
 目を見開いた老人の目には、薄らと涙が滲む。
 「嘆かわしい。魔物に、意識をもぎ取られてしまったのじゃな」
 そう言って老人は懐中時計を取り出し、修理を始めだす。
 「すぐですぞ」
 一瞬にして、由真の意識は飛び、気づくと母親の手の中に抱かれていた。
 「いい由真、もう絶対に口にしてはいけないよ」
 「恵美子さん、この子には不思議な力がある。それを生かして」
 「おばあちゃんは黙っていて」
 薄らとしていた記憶が鮮明になる。
 初めて色を見分けた日のことを、由真は思い出す。
 黒ずんだ人とすれ違い、由真は手を引く母親に告げたのだった。
 「ねぇあの人、どこか悪いのかな?」
 「何よ急に」
 「真っ黒黒。まるで死人みたいに見えるね」
 それは近所に住むおじさんだった。
 その夜、おじさんは借金を苦に自殺をしてしまった。
 ただの偶然。
 一度はそう思った母も、二度三度と度重なる真実に、険しい顔になって行った。
 そしてあの日、祖母の異変に気が付いた由真は必死にお願いをしたのだ。しかし、祖母は嬉しそうに老人会の慰安旅行へ出かけて行き、帰らない人になってしまった。
 母親は、由真を恐れるようになった。
 死を呼び寄せているのは我が子。そう思い込んでしまったのだ。
 母は宗教にはまり、由真を悪魔と呼ぶようになる。
 そして、つに母親は由真を手にかけてしまった。
 遠のく意識。
 そうだ、私は閉じ込められてんじゃなくて、隠されたんだ。
 
 「どうです? 思い出しましたかね?」
 「私……」
 「あと数秒遅れてしまったら、取り返しがつかないところでした」
 にっこりする老人を、由真は言葉なく見つめる。
 「まずはあなた様の存在によって、生じてしまった歪みを直して行きましょう」
 迫田は本来、名取家に生まれる予定の子だった。
 まったく違う人生が用意されていたのだ。
 母親も怯えて過ごすことなく、余生を送れたはず。
 しかし、羅針盤を覗いた由真は、顔を顰める。
 すっかり形相が変わり、人目に付かないように暮らす姿がそこにはあった。
 本来なら……。
 だから迫田を見つけ、第一声はあれで良かった、と由真は思っている。
 ずっとずっと謝りたかった。
 そして、出会うべく人と出会って欲しい。
 心からそう思うが、ふと由真は老人を見る。
 だったら私は何者なの?
 ずっとそれが知りたいのに、知ってはいけないような気がして、由真は聞けずにいる。
 自分の存在が歪みを生じさせたって、何?
 悲鳴を上げたい気分の由真は、カチリと音を立て止まったメモリに、目を落とす。
 ずっとね、それを知りたいだけだった。
2018/01/23 (13:53)

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