ルルドの風

番外編~ほたる~


 どんよりとした雲が垂れ込める空の下、私は言葉少なく歩いていた。
 心配げに、そんな私を気遣ってくれる岡田が隣りに居る。
 何度この道を通っても、気が重くなる。
 そこら中から線香の煙が立ち上り、色とりどりの花が添えられている墓標。
 「すいませんね。こんなことまで手伝わせてしまって」
 すっかり年老いてしまった浩介の両親が、申し訳なさそうに振り返る。
 「こちらこそすいません。無理を言ってしまって」
 「いえいえ。あの子もきっと喜んでくれていると思います」
 首から下げたタオルで、顔を拭った母親が私へ微笑みかける。 
 あれから月日は流れ、私たちは来月結婚を控えていた。その報告を兼ねて、無理を言って迎え火を一緒にさせてもらっているのだ。
 その話をした時、この両親は心から喜んでくれた。
 道を辿って行くうちに、母親は無口になり、頻りにタオルで顔を拭くようになる。
 岡田は、父親と、今まで回ってきた国々の話をしていた。
 私はふと、そんな二人を顧みる。
 もし、浩介が生きていたのなら、同じような会話をしていたのだろうか……。
 浩介は、本当に旅行が好きで、学生時代も、バイトしてはお金をため、国内外問わずにあちらこちらを飛び回っていた。
 目を輝かせ、旅先での話をする岡田に、母親も、きっと重なるものを感じてしまっていたのだろうと思う。
 丁寧に墓石を洗い、すっかり伸び生えた雑草を取り除く。

 「チベットってさ」
 付き合い始めてすぐのころ、浩介が何を思ったかこんな話をし始めた。
 「輪廻転生を深く信じられていて、遺体は細かく切り刻んで放置し、ハゲワシのような死肉を常食する鳥に食べさせるだってさ」
 「ええ、何それ?」
 「グロテスクだよな。遺体は魂の抜け殻だっていう考えらしいんだけどさ、俺、絶対チベットでは死ねないなって、つくづく思ったんだ、その話を聞いた時。泣けないよな。残されたものとしては」
 いつになく、神妙な顔をする浩介の手を、私は思わず握ってしまっていた。
 まるで自分たちには無関係な話。そう思っていたのに……。

 「どうかした?」
 岡田に顔を覗き込まれ、私は首を振る。
 夕日に溶け込んで消えて行った日から、浩介はもう私の目の前には現れてはくれない。
 
 さっぱりした墓石に手を合わせ、ちょうちんに灯を灯す。

 私たちはゆっくりゆっくりと家路を辿る。

 部屋の前まで送ってきた岡田が、不意に唇を合わせてきた。
 驚いている私の頭に、フワッと手を乗せ岡田が微笑む。
 「少しは元気、でたか?」
 ぎこちなく微笑む私に岡田は、じゃあなと手を振り行ってしまう。

 別に、結婚が嫌な訳ではない。けど……。
  
 部屋に入り、電気も点けずにベッドへ倒れ込む。
 悲しみが胸を衝く。

 「どうなんだろうな?」
 真顔の浩介が、顔を顰める私を見詰めていた。
 あの日はとにかく、浩介はやたら埋葬について語りたがっていた。きっかけは何だったかは思い出せないが……。
 「ミイラになるのも嫌だしな」
 「本当にどうしたの?」
 「いや、特に何があったわけじゃないんだけどさ、様々な国を巡ってさ思たのは、容姿は違っていても、同じ命で、そこには考え方がそれぞれあってさ、何て言うかな、共通してあるのは、祈りであって、誰もが一つのことを信じているだなって、思うわけですよ」
 「何よもう、食事不味くなるから、もう止めようよ」
 あっそうだ。クリスマスにどうしてチキンを食べるのか。って話からの流れだった。と私は思い出す。
 「チー、絶対俺より先に死ぬなよ」
 「だから」
 「マジ頼む。じゃないと、俺、チイがどうやったら天国へ行けるのか迷っちゃうからさ」
 「もう浩ちゃんたら、許さないから」
 プーと頬を膨らませ、むくれる私のおでこを指で弾いた浩介は、
 「マジ、頼むから、俺を残すんじゃないぞ」
 浩ちゃんはずるいよ。そんなこと言って、先に自分が、さっさと逝ってしまうんだもん。

 式に向けて、着実に準備が進む中、私はだんだん元気をなくしていった。
 だからだろうと思う。
 「結婚、止めとくか? 別に形式にこだわらんでも、俺は今でも十分幸せだから、それでもいいぞ」
 岡田の発言に、私は目を大きくする。
 「どしてそんなことを言うの?」
 「お前、辛そうにしているから」
 「そんなこと」
 「無理するな。俺は大丈夫だ」
 「でも……」
 パチン。と指でおでこを弾かれ、私は目を見開く。
 「俺は、お前が幸せそうにしている顔だけを、増やしたいだけなんだ。それ以上は望まん」
 「ごめん」
 「謝らなてもいいよ」
 優しく頭を抱かれ、私は泣きそうになる。
 
 どうしたいのか、自分でも分からなかった。 

 「そう言えば、お前、一緒に来るか?」
 急にふられた言葉に、私は上目遣いで岡田を見る。
 「蛍をさ、撮りに行こうと思ってさ」
 「蛍?」
 「まだ休みあるんだろ?」
 コクンと頷く私の頭を、岡田が嬉しそうに撫でる。
 

 そして、無数に灯る光を私は今、岡田の隣で、柔らかい笑みを浮かべ眺めていた。
 「なぁ、何をそんなにお前、気にしてんだ」
 ファインダーを覗きながら言う岡田に、私は、首を傾げる。
 「お前はお前のままでいいんだ」
 ぼんやりとした灯りが、ふわふわと私へと一つ漂うように近づいて来て、肩に止まる。
 「言ってみろ。何でも聞いてやるから。戸部さんが忘れられないなら」
 私は岡田の腕を思わず、ギュッと掴む。
 「違うの」
 涙が堰を切ったように、あふれ出す。
 「だんだんね、だんだん、浩ちゃんのことがね、思い出せなくなってきてね、あんなに忘れられないと思っていたのに、このまま私の中から浩ちゃんがいなくなってしまいそうで、怖くて怖くて。本当は健太郎さんのためにも、忘れるべきだと思っているのに、でも、でも」
 「バカだな。そんなことを気にしていたのか?」
 ふわっと頭に手が乗せられ、目じりを下げ笑う岡田が言う。
 「それは、忘れるんじゃないと思う。お前の心の引き出しにしまっただけだ」
 目を潤ませ見つめ返す私の頬を、岡田は手で挟む。
 「何て顔、してんだよ。だからお前には、何も話せなくなる」
 フワっと肩から蛍が離れ、岡田が、おでこを頭に乗せて来る。
 「良いんだって言ってるだろ。チイはチイらしく、笑っていてさえくれれば、それで良い。そして、ときどき、今みたいに思い出してさえくれれば良い」
 「健太郎さん?」
 岡田が寂しそうに笑い、空を見上げる。
 「戸部さんなら、きっとそう言ってくれるさ」

 どこまでもどこまでも、人生の旅をあなたとしたかった。
 
 「だけどさ、何もなくなっちゃったとしてもさ、俺の心は永遠に不滅だから、安心して、チイは俺について来い」

 あの日見せたあなたの笑顔を、今は、岡田が見せてくれている。

 浩介、あなたと探したこの西日が当たる部屋で、私は、もう誰も愛せないと思っていた。
 何もなくなった部屋を見回し、私は頭を下げる。
 「行くか」
 私は岡田に肩を抱かれ、部屋を後にする。

 何となく、そんな私たちを浩介はいつまでもいつまでも見送ってくれている気がした。

 「チイ、頑張れ。幸せになれよ」

 ふんわりとそこに漂うように飛ぶ蛍は、誰の目にも触れられることなく、最後の灯火を費やしたことを、私たちは知らずにいた。

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