ポストに、一通の手紙が届く。
八重樫千奈子(やえがしらちなこ)様。のあて名書きに見覚えがある。何の気なしに裏返し、差出人の名前を見て、私は顔をしかめた。
泣きたいような怒りたいような複雑の気分で、その手紙を見ずにベッドの上に放り投げる。
麻衣子とは、どのくらい会っていないのだろう。高校の時のクラスメイトだった麻衣子は、ソールメイトのような存在だった。べたべたするそこいらの女子と違っていて、お互いが束縛することなく、必要な時だけの付き合い、鑑賞しない。けど、不思議と心が通じ合えていた。それなのに……。
私のことを一番理解していてくれいると思っていた。
そう思っていたのは私だけだったなんて。あんなことを言うなんて、信じられなかった。
開け放った窓から、冬の冷たい風が入り込み、私は空を見上げる。
本来なら、私は浩介と……。
心がざわめく。
出来れば、このまま放っておいて欲しい。あの時のことを思い出したくないのに、突然鳴りだした携帯電話に、胸が締め付けられる。
麻衣子……。
鳴り続ける携帯に耳を塞ぎ、私は部屋の隅に丸まる。
浩介とダメになってから、もう5年の歳月が経っている。それなのに、私は浩介と住もうと探した部屋で一人、こんなことをしている。
留守録に入れられた、麻衣子の声は懐かしかった。
「お願い。一度、会って欲しいの」
今更、会ってどうするの?
心が叫ぶ。
麻衣子の留守録は、毎日のように入れられている。
やっと取り戻した私の平和は、また麻衣子に壊されつつある。
一度も目を通さずに、ゴミ箱へ捨てられた麻衣子からの、結婚式の招待状。自分の幸せを見せつけようとする、非道な女。
もうすべて忘れたいのに……。
「千奈」
昼下がりのオフィス街。
麻衣子の声が響き、私はその場で息を飲む。
「誰?」
一緒に居た、同僚の子の声さえ耳に入らない。
「知り合い?」
強張った私が、無意識に頷く。
「じゃ、先に戻っているね」
無情に近づいてくる麻衣子。
この場から逃げ出したいのに、足がどうしてもいうことをきいてくれない。
「千奈、久しぶりね。元気だった」
「…………」
今更、なんなのよ。
二人の間にぎこちない空気が流れ、私は無言のまま踵を返す。
「待って、私、千奈に謝らなければならないこと、沢山あるの。お願い。一度だけでいい、私に時間を頂戴。じゃないと私、前へ進めない」
怒りが込み上げて来ていた。
「結婚、おめでとう。桃子とかからメール来たよ。みんな幸せそうだね。ごめんね。私、出席できないから。ハガキ、失くしちゃったから、ちょうど良かった。あ、もう行かないと上司に怒られちゃう」
砂をかむ思いでそう言い捨てた私に、麻衣子は食い下がるように言葉を投げかけて来る。
「明日の10時。いつも待ち合わせで使っていた駅前のカフェで待っているから。来るまで待っている。あなたには話さなければならないことが、沢山あるの。私、あなたのこと、今でも一番の友達と思っているから」
今更、なんなんだ。
逃げ出したい衝動と、振り返りたい気持ちがぶつかり合う。
目の前の景色がぼやけだしていた。
眠れないまま、朝を迎える。
私は、携帯の画面に表示された時間を見て、ため息を吐く。
今更話すことなどない。
浩介はいつも、私が行ったことがない、国々の話をしてくれた。
空の色や、そこで暮らす人々の表情が、目に浮かぶようだった。海や建物、そこに吹く風の匂いさえ感じられた。
いろんな人に、旅の面白さを伝えたい。が、浩介の口癖だった。
二人で行った海や山。小さな町の風景。どれもこれも、浩介と一緒だったから楽しく思えた。二人が付き合い始めて、2年目の記念日。浩介は照れ臭そうに言ってくれた。
「俺と一緒に、人生の旅をし続けて欲しい」
浩介流のプロポーズに、私は胸を熱くし頷いた。
毎日が夢のようだった。
二人の新しい生活のため、部屋を探し、そこに置く家具を見て回った。両家の親に会い、誰からも祝福を受け、怖いくらいの幸せが私に降り注ぐ。
……確かにあの日までは、幸せを手に入れたと思っていた。