ルルドの風

 3.冷たい雨


 時間がのろのろと私の目の前で過ぎて行く。
 埃をかぶっている私の幸せに目をやり、行くわけないのにと独り呟く。
 朝から冷え込み、窓ガラスに滴が流れ落ちている。
 しとしと降る雨粒に、尚更私の思いは一つに固まる。
 いつまで待ったって、私は行かない。行けるわけがない。

 浩介が風邪をこじらせ、しばらく実家へ戻って来ると言ったのは、二人の式の日取りが決まった翌日だった。
 もう二週間も調子がすぐれないことは知っていた。何度か病院に行くことを勧める私に、浩介は忙しいの一言で片づけて取り合おうとしなかった。式場へ打ち合わせに行ったその日も、何度かトイレに立ち、顔色が優れないでいた。何度も大丈夫と確認する私に、浩介は優しく微笑むだけだった。
 本当に心配だった。止まらない咳も気になる。本気で怒る私に、明日、病院に行ってみるとやっと約束をしてくれた。
 翌日、丁度いい機会だから、実家へ帰ってしっかり治して来るという言葉に、私は何も疑いを持たなかった。
 でもそれはやがて後悔に変わる。
 なかなか戻って来ない浩介。
 一方的な連絡を待つ日々。
 お見舞いに行くという私を、柔らかくだが、浩介は拒み続けた。
 そして実家へ戻って五日目、浩介の連絡が途絶え、不安になった私は、実家へ電話を入れ、お母さんに思い切って胸の内を聞いて貰った。
 挨拶に伺った時、本当によくしてくれて、この人とならいい親子関係を築けると思った。だから私は、浩介に会いたいのに、会ってくれないと溢した。せめて連絡だけでもという私に、しばらく沈黙されてしまい、すっかり気が動転してしまう。
 「心配は要らないわ。たまには親子水入らずにさせて」
 声は優しかったが、これから先は長い。嫌われたくはない一心で、私は浩介が戻って来るのをひたすら待つことになる。

 二週間が過ぎ、少しやせた浩介がやっと、本当にやっと私の元へ帰って来てくれた。
 嬉しい。
 癖のある歩き方で近寄って来る浩介を待ちきれず、駆け寄った私は人目も憚らず飛びつき、キスをする。
 本当に嬉しい言葉しか思い当らなかった。
 当然、浩介も同じ思いでいてくれる。疑うこともせず、自然と頬が緩んでしまう自分が、どうしようもなく幸せな自分がそこには居た。
 そして二人で近くの店に入り、そこで初めて私だけが、そう私だけがこの再会を喜んでいることに気が付いてしまう。
 空気が重く感じる。
 何も言わないまま外ばかり見ている浩介に、私は眉を顰める。
 明らかに様子がおかしい。
 問い詰める私に、浩介は信じがたい言葉を吐き出す。
 「……今、何て言ったの?」
 「別れて欲しい」
 式の日取りを決めて二週間、どうして急にそんな事を言い出したのか分からずにいた。
 涙があふれ、言葉にならない私に、浩介はどこまでも残酷な言葉を投げかける。
 「俺、お前に隠してたんだけど、実はお前の友達の方に気があったんだよね」
 「麻衣子?」
 「そう。何度アタックしても振り向いてくれないからさ、当てつけでお前と付き合いだしたんだけど、やっぱ俺、無理だわ。すまん。俺と別れてくれ。あいつのこと、どうしても諦められないんだわ」
 「どうして急にそんな事、言い出すのよ」
 「実家に帰るって、あれ嘘だったんだわ。麻衣子に誘われて、旅行に行ってたんだけど、なんか燃えちゃってさ。あいつもいざ、俺がお前にとられるって思ったら、焦ったんだろうな」
 「麻衣子は、そんな子じゃない」
 「恋愛が絡むと、違うんじゃないの。女の友情って成立しないらしいし」
 「酷い。浩介のバカ」
 泣きながら飛び出す私を、浩介は追いかけてはこなかった。
 私は真実を確かめるため、その足で麻衣子に会いに行った。
 問い詰める私に、悪びれる様子もなく、収入もそこそこだし、話していると飽きないし、キープ君には打ってつけでしょ。と麻衣子は強かさを見せつけた。
 幸せの絶頂に居る友人を、突き落す気分はどんなものだったのだろう。殺したいとさえ思う私に、麻衣子は追い打ちを掛けるように、その数日後、浩介を振ったと話す。本気になられては困ると言う麻衣子の頬を叩き、それから一度も会っていない。
 どこをどう歩いたのか全く覚えていない私は、浩介が勤める旅行代理店の前に立っていた。
 中を覗く私は、本来そこにあるべく浩介の姿を見つけられず、顔をしかめる。
 嫌味の1つも言ってやろうと携帯に掛けるが、浩介は既に解約手続きを済ませていた。

 冷たい雨の中、私はガラス越しに麻衣子の姿を見つめる。
 今更何も話すことはない。
 だけど……。
 麻衣子と目が合う。
 いつまでも引きずる訳にはいかない。
 心のどこかでいつもそう思っていた。




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