岡田健太郎の出現は、思いがけず私が忘れていた物を色々と取り戻させている。
例えば、この胸の高鳴りだ。
浩介を失い、私は抜け殻になってしまっていた。
人並みに喜怒哀楽はある。がしかし、それはどれもこれも、薄っぺらいベールの上にだけ存在していて、すぐに剥がれ落ちてしまうものだった。
西日が差し込む窓に背を向け、私は一人まどろむ。
部屋には、浩介と選んだ家具が並べれている。
どうしても嫌いになれなかった。
あんな仕打ちをされたのに、未練がましい女だと自分でも思う。だけどこうでもしないと、生きて来られなかったのも事実。
部屋のチャイムが鳴らされ、私はふと時計を見る。
人が訪ねてくることがない部屋。
宅配業者が来る予定もない。
居留守を使うかと思いつつ、のぞき窓に目を押し当てる。
花束を持った花屋の店員らしき女性が立っているのが見え、恐る恐るドアを開ける。
彼女は、岡田健太郎からの贈り物だと告げ、花束を私に手渡す。
どういうことなのだろうか?
気味が悪くなって、私は厳重にドアに鍵を掛ける。
その花束には、メッセージカードが添えられていた。
お誕生日おめでとう。
そう記されたカードを見て、私は顔をしかめる。
岡田健太郎なる人物が何者なのか、確かめるべく相手、麻衣子夫妻は旦那の仕事の都合で、遥か遠い国へと旅立っていた。
――特別何かをされた訳でもない。
そう自分に言い聞かせ、私はそのままこの事実に目を叛ける。
それからというもの、岡田は偶然を装い、私の目の前に姿を見せるようになっていた。
目的はただ一つ。
俺と付き合って下さい。だった。
そのしつっこさに警察を呼ぶまで話が発展していき、岡田はそれでも引き下がらず、一度だけデートしてくれたら諦めると言い張った。
――行くべきではない。
ニュースで流れる自分の姿を想像しなかったわけではないが、私は彼との約束を果たすために身支度を整える。
後ろで、小さく音を立て、浩介との幸せだった時間を写した写真が倒れる。
ずっとその存在に気が付かないふりをし続けていた。
しばらく、目を閉じるのが恐かった。
あの日の光景が目から離れずにいたから。
思い出したくないものほど、どうしてこう色鮮やかに残ってしまうのだろう。
両親は戻って来いと、再三私に電話を寄こしていた。
この部屋に住むことも、反対されたんだっけ。
手に取り、埃を拭い取る。
映画を観に行った帰りだった。
その映画のロケを行われた街へ行ってみようと、二人で話した気がする。
小春日和の午後。
陽だまりが出来ている公園のベンチ。
他愛もない会話。
思い出したくはないのに、何かの拍子で顔を覗かせるそんな一コマ。
こんなに鮮明に生きているのに……。
何かを思い出しそうで思い出せず、私は岡田が運転する車の助手席に座った。
なくすものなど何もない。
有って無いような私の人生。壊れてしまうならそれでもいい。投げやりな気持ちがあったのは確かだった。とっくに諦めていたはずの思い。自分でも気が付かなかったけど、心のどこかで私は、浩介が戻って来るのを待っていた。それももう叶わない夢と知り、運転席にいる岡田を見る。
胸の奥がチクチクと痛んだ。